前々から気になっていたのですが、語尾にやたらと「よね」「よね」とつける話し方があります。もちろん、自分でも無意識に使うことはあると思います。問題は、自然な相づちではなく、話し方の癖として過剰に出てくる場合です。
ここで言いたいのは、単に「ですよね」と同意する表現のことではありません。自分が何かを説明する時に、第三者の声を借りるように「こうなるよね」「こういうことあるよね」と繰り返す話し方です。
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「よね」は便利だが乱発すると濁る
「よね」は便利な言葉です。相手と前提を共有したり、断定を少し柔らかくしたり、会話をフランクにする効果があります。
ただし、乱発されると話の主体がぼやけます。自分の意見なのか、一般論なのか、誰かの代弁なのかが曖昧になるからです。
- これは自分の判断なのか。
- 誰かが言っていた話なのか。
- 一般的にそう見えるという話なのか。
- 相手に同意を求めているだけなのか。
このあたりが曖昧なまま「よね」で包まれると、話している本人の言葉が薄く見えてしまいます。
フランクさと知的っぽさの演出
「よね」を重ねる話し方には、少しフランクで、少し分かっている人のように見せる効果があります。断定しすぎず、それでいて相手に共感を求める。会話の表面は滑らかになります。
しかし、その滑らかさが強すぎると、逆に違和感が出ます。自分の言葉で考えて話しているというより、どこかで見た話し方をなぞっているように見えるからです。
ビジネス会話では特に気になる
ビジネスの場では、話し方の癖がその人の思考の癖として見えます。「こういう課題があります」「この前提で考えています」と言えば済むところを、「こういうことってあるよね」と言い続けると、責任の所在がぼやけます。
もちろん、柔らかく話すこと自体は悪くありません。ただ、説明、判断、提案の場面では、言葉の主体をはっきりさせた方が良いです。
自分の言葉で話す方が強い
「よね」を完全に使うなという話ではありません。問題は、言葉の癖によって、自分の考えが薄まって見えることです。
自分が何を見て、何を考え、どう判断したのか。それを自分の言葉で話す方が、少なくとも私は信用できます。流行った話し方をまとっている人より、多少不器用でも自分の言葉で話す人の方が強いと思います。

