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半袖シャツに感じる着させられている感 – クールビズと服装の主体性を考える

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私はもう、しばらくスーツを着ていません。

仕事でスーツを着る機会はほとんどなくなり、手元にあったスーツもすべて処分してしまいました。今となっては、毎朝ネクタイを締め、ジャケットを羽織って出勤していた頃の感覚は、少し遠いものになっています。

それでも、スーツを着ていた時代を振り返ったり、電車の中でスーツ姿の会社員を見かけたりすると、ふと思い出すことがあります。

夏場の半袖シャツが、どうにも苦手でした。

半袖の服そのものが嫌いなわけではありません。T シャツもポロシャツも普通に着ますし、半袖という形が悪いと思っているわけでもありません。気になっていたのは、スーツのスラックスに半袖のワイシャツだけを合わせた時の、あの独特のバランスです。

下半身はスーツのままなのに、上半身だけが急に簡略化されている。カジュアルになったというより、正装から一部だけを切り落としたように見える。その中途半端さが、ずっと気になっていました。

この記事の結論

半袖シャツへの違和感は、袖の長さそのものではありません。スーツのスラックスに半袖ワイシャツだけを合わせた時、服装が「軽装」ではなく「正装から一部だけを省略したもの」に見えることです。そこに、私が感じる「着させられている感」があります。

クールビズでも半袖シャツを着なかった

スーツを着ていた頃、夏になるとジャケットを着ない場面はよくありました。いわゆるクールビズです。

暑い時期にジャケットを脱ぐこと自体は自然です。無理に厚着を続ける必要はありませんし、冷房を強くしすぎないという意味でも、軽装には合理性があります。

ただ、そこで半袖シャツを着るかどうかは別の問題でした。私は、半袖シャツをほとんど着ませんでした。暑くても長袖シャツを着て、必要であれば腕まくりをしていました。

機能だけを考えれば、半袖シャツの方が涼しいのかもしれません。それでも、どうしても半袖シャツを着る気にはなれませんでした。

半袖シャツは弱そうに見える

理由を丁寧に説明しようとすれば、いくつかの言い方はできます。

ただ、あまり整えずに言えば、半袖シャツは弱そうに見えます。中学生っぽく見える。幼く見える。昭和っぽく見える。そして何より、本人が選んだ服というより、制度に合わせて着させられている服のように見える。

もちろん、これは実態の話ではありません。本人が好んで半袖シャツを選んでいる場合もあるでしょうし、単純に暑さを優先しているだけかもしれません。服装にそこまで意味を持たせていない人もいるはずです。

それでも、服装において見え方は無視できません。特にスーツは、もともと全体の形で成立している服です。その一部だけを省略すると、軽やかになるというより、どこか弱く見えてしまうことがあります。

半袖ワイシャツは、ドレスシャツを途中で切ったように見える。自分には、その印象がかなり強かったのだと思います。

クールビズと会社員用に簡略化された服

クールビズは、2005 年度から政府が提唱してきた取組です。過度な冷房に頼らず、夏を快適に過ごすための軽装として広がってきました。

その趣旨自体は理解できます。暑い時期に過剰な正装を続ける必要はありません。働く環境に合わせて服装を調整することは、本来は自然なことです。

ただし、その軽装が会社や制度の側から与えられた時、服装は少し違う意味を持ち始めます。自分でその場に合わせて調整したというより、「夏の会社員はこの簡略版を着ればよい」と決められた服のように見えてくるからです。

私が半袖シャツに感じていた「着させられている感」は、おそらくそこにあります。

本人の判断で服装を変えたというより、制度が用意した簡略版の会社員スタイルに身体を合わせているように見える。清潔ではあります。だらしなくもありません。けれど、格好良くは見えにくい。

服装見え方感じる違い
半袖ワイシャツ最初から省略された形制度側で簡略化された服に見えやすい
長袖シャツの腕まくり元の形を残した変形状況に応じて調整しているように見える
T シャツやポロシャツ最初から半袖として成立している服正装の省略ではなく、別の服として見える

長袖シャツの腕まくりはなぜ違って見えるのか

一方で、長袖シャツを腕まくりしている状態には、まだ納得できるものがありました。

長袖シャツは、もともとの形としてはドレスシャツです。そのうえで、暑いから腕をまくる。つまり、正装の構造を残したまま、状況に応じて変形しているように見えます。

もちろん、腕まくりにも記号性はあります。「仕事ができそう」「現場感がある」「少し崩している」といった印象として消費されることもあります。だから、腕まくりをしているから本当に主体的だ、という話ではありません。

それでも、半袖シャツと腕まくりには違いがあります。

半袖シャツは、最初から省略された形です。長袖シャツの腕まくりは、元の構造を残したまま変形された形です。この違いは、見た目の印象に大きく影響します。

省略の記号か、変形の記号か

半袖シャツは、正装を軽くしたというより、あらかじめ切り詰められた服に見えます。そこには、その場で判断して調整したような印象が残りにくい。

一方で、腕まくりには、少なくとも「元の形から変形している」という視覚的な記号が残ります。そこに主体性そのものがあるとは言いません。しかし、主体的に調整しているように見える余地は残ります。

私が気になっていたのは、おそらくその差です。

服装が、省略の記号として見えるのか。変形の記号として見えるのか。たったそれだけの違いでも、着ている人の印象はかなり変わります。

半袖シャツへの違和感

袖の長さだけの問題ではありません。服装が「省略されたもの」として見えるのか、「状況に応じて変形されたもの」として見えるのか。その違いが、主体性や着させられている感の印象を変えます。

半袖シャツは会社員を無害化する服に見える

スーツのスラックスと半袖シャツだけの状態には、妙な弱さがあります。子供っぽさがあり、自分で選んだ服というより、会社員用に支給された服のような印象があります。

少し強い言い方をすれば、半袖シャツは会社員を無害化する服に見えます。

清潔感がないという意味ではありません。むしろ、多くの場合は清潔で、きちんとしているようには見えます。だらしないわけでもありません。

しかし、強さや主体性は感じにくい。整っているのに、どこか弱い。きちんとしているのに、格好良くは見えにくい。

私がスーツ時代に半袖シャツを避けていたのは、単に見た目が好みではなかったからだけではありません。制度によって簡略化された服を、そのまま着ているように見えることが嫌だったのだと思います。

まとめ

夏場の半袖シャツが苦手だった理由は、半袖そのものにあるわけではありません。

問題は、スーツのスラックスに半袖ワイシャツだけを合わせた時、服装が「軽装」ではなく「正装から一部だけを省略したもの」に見えることです。

T シャツやポロシャツは、最初から半袖の服として成立しています。しかし、半袖ワイシャツは、ドレスシャツを途中で切ったように見えやすい。

一方で、長袖シャツの腕まくりは、元の構造を残したまま状況に応じて変形しているように見えます。

この違いは、袖の長さの違いではありません。服装が省略の記号として見えるのか、変形の記号として見えるのかの違いです。

半袖シャツに感じる「着させられている感」は、おそらくその違いから来ているのだと思います。

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