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梅雨を憂鬱だけで終わらせない – 紫陽花、ハモ、きゅうり、モヒート、白州、新緑

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梅雨の季節は、どうしても憂鬱になりがちです。空は重く、湿度は高く、洗濯物は乾きにくい。外に出るのも億劫になり、気分もどこか沈みやすくなります。

梅雨という言葉には、どうしても不快、面倒、早く終わってほしいという印象がつきまといます。しかし、季節というものは、快適か不快かだけで切り分けるには少し惜しい。梅雨には梅雨の価値があります。

この記事で扱う内容は次の通りです。

  • 梅雨は憂鬱になりやすいが、不快だけで終わる季節ではない
  • 紫陽花、ハモ、きゅうり、モヒート、白州、新緑には梅雨らしい良さがある
  • 雨や湿度を消すのではなく、その中にある涼しさや水気を拾う
  • 季節は頭で理解するだけでなく、身体で受け取るものでもある

雨に濡れた紫陽花の美しさ

紫陽花は、晴天よりも雨が似合う花だと思います。曇った空、濡れた地面、少し暗い光。その中で、紫陽花の色はむしろ鮮やかに見えます。

晴れた日に見る花とは違い、雨を受けて成立する美しさがあります。梅雨の重さの中で、紫陽花だけがその季節を肯定しているようにも見えます。

ハモは梅雨から初夏の空気に合う

ハモもまた、この時期の楽しみです。淡白で上品で、梅雨から初夏にかけての空気によく合います。

ハモは小骨が多い魚なので、食べるには骨切りが重要になります。細かく包丁を入れて骨を断ち、身の食感を残しながら食べやすくする。この骨切りという仕事自体にも、夏の料理らしい季節感があります。

俳句や歳時記の世界でも、鱧や鱧料理は夏の季語として扱われます。骨切りされたハモに梅肉を添えて食べると、淡い白身に梅の酸味が入り、梅雨から初夏の湿度にちょうどよい輪郭が出ます。

濃い味で押してくるというより、季節の隙間にすっと入ってくるような食材です。梅肉の酸味も含めて、梅雨の湿度の中で、軽く、涼しく、品よく食べられるところが良いと思います。

きゅうりは身体の内側から涼しくする

きゅうりも美味しくなります。水分が多く、青く、少し青臭い。塩だけでも十分にうまい。湿度の高い季節に、身体の内側から涼しくなる感じがあります。

こういうものを食べると、季節は頭で理解するものではなく、身体で受け取るものなのだと思います。

モヒートは蒸し暑さへの回答である

蒸し暑さを反転させるものとして、モヒートがあります。ミントとライムの清涼感は、梅雨の重さに対する一つの回答だと思います。

湿度をなかったことにするのではなく、その湿度の中に涼しさを差し込む。だからこそ、モヒートはこの季節に合います。

白州には新緑の湿った空気がある

白州も同じです。森、水、青さ、清涼感。白州には、どこか新緑の湿った空気に通じるものがあります。

強い酒というより、森の中の水を感じる酒という印象があります。梅雨の夜に、少し冷やして飲むにはとても良い。

雨は新緑を濃くする

そして新緑です。梅雨の雨は、気分を重くする一方で、緑を濃くします。木々の葉は水を含み、街の色は少し深くなります。

晴れた日の明るい緑ではなく、雨に濡れた濃い緑。そこには、梅雨でなければ見えない生命感があります。

梅雨にしかない楽しみを拾う

梅雨は、たしかに面倒な季節です。しかし、面倒だから価値がないわけではありません。少し視点を変えるだけで、梅雨には梅雨にしかない楽しみがあります。

  • 雨に濡れた紫陽花を見る
  • ハモを食べる
  • きゅうりに塩を振る
  • モヒートを飲む
  • 白州を少しだけ楽しむ
  • 新緑の濃さを見る

そう考えると、梅雨は単なる我慢の季節ではなくなります。湿度も、雨も、青さも、水気も、すべて季節の一部です。

まとめ

憂鬱になりがちな季節だからこそ、その中にある価値を拾っていきたい。梅雨を好きになる必要はありません。ただ、梅雨にも梅雨の良さがあると知っているだけで、少しだけ季節の見え方は変わります。

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