人の正義とは何か。以前から、少し引っかかっていることがあります。私の感覚では、人の正義は、常に何らかの非正義を前提にして成立しています。ここでいう非正義とは、単に悪人や犯罪のことではありません。人が「これは正しい」と言うとき、その背後には必ず「これは許されない」「これは避けるべきだ」「これは誰かを傷つける」という否定対象があります。正義は、それ単体で宙に浮いているものではありません。何を守り、何を防ぎ、何を許さないのかによって輪郭を持ちます。
この記事の視点
正義は、単独で存在するきれいな言葉ではありません。多くの場合、正義は何らかの非正義を防ぐために生まれます。そして、自分の側の正義は、別の側から見ると非正義になり得ます。だからこそ、正義を語るときには、その正義が何を守り、何を切り捨てているのかを見る必要があります。
正義は単独では存在しない
正義は、単独で存在している概念ではありません。多くの場合、正義は「なぜそれが必要なのか」という理由を伴います。人を殺してはいけない。盗んではいけない。差別してはいけない。約束を守るべきだ。こうした規範は、ただ美しい言葉として存在しているわけではありません。殺人、盗み、差別、裏切りといった非正義を防ぐためにあります。つまり、正義の輪郭は、非正義によって与えられます。何を防ぐのかが見えなければ、その正義が何のためにあるのかも見えません。
正義は社会を維持するための仕組みである
人間社会における正義は、社会を維持するためのルールや知恵でもあります。人間は集団で生きる以上、衝突を避け、信頼を作り、秩序を保つための規範を必要とします。その意味で、正義は絶対的な真理というより、共同体を維持するための仕組みとして現れます。何を正義とするかは、時代、文化、立場、共同体によって変わります。昔は当然とされたことが、今では差別や暴力と見なされることもあります。逆に、今の社会で正義とされているものも、別の時代から見れば不完全に見えるかもしれません。
ただし、だからといって「正義など存在しない」と言いたいわけではありません。むしろ、正義が人間社会の中で作られるものだからこそ、その前提と作用を丁寧に見る必要があります。
自分の正義は、誰かの非正義になり得る
正義の難しさは、自分の側から見ると正しいことが、別の側から見ると非正義になり得るところにあります。
| 自分の側の正義 | 別の側から見える非正義 |
|---|---|
| 秩序を守る | 異質な人を排除する |
| 多数派の安心を守る | 少数派に沈黙を求める |
| 企業を効率化する | 労働者の生活や余白を削る |
| 国家の安全を守る | 個人の自由を制限する |
| 正しい改革を進める | 誰かの生活基盤を壊す |
もちろん、すべての正義が同じ程度に危ういという話ではありません。ただ、正義を語るときには、自分が何を守ろうとしているのかだけでなく、何を切り捨てているのかも見なければなりません。正義は、守る対象を持つと同時に、排除する対象も作ります。そこを見ないまま正義を語ると、正しさの足元が見えなくなります。
政治では、複数の正義が衝突する
政治では、この問題が特に分かりやすく出ます。政治的な正義は、常に誰かの利害と結びついています。ある人にとっての安定は、別の人にとっての停滞かもしれません。ある業界にとっての保護は、別の産業にとっての不公平かもしれません。ある地域にとっての利益誘導は、国全体から見れば資源配分の歪みかもしれません。政治が難しいのは、単純に正義と悪が分かれているわけではなく、複数の正義が衝突するからです。
そして、権力を持つ側の正義は、弱い立場の非正義を見えなくしやすいです。だから、政治的な言葉を読むときには、「この主張は何を守ろうとしているのか」と同時に、「そのために誰が負担を負うのか」を見た方がよいと思います。
正義を疑うことは、正義を捨てることではない
ここで注意したいのは、正義が相対的だから何をしても同じ、という話ではないことです。殺人、差別、搾取、暴力、権力の濫用を許してよいわけではありません。むしろ、正義が非正義を前提にしているからこそ、その正義が何を防ごうとしているのかを明確にする必要があります。正義を疑うことは、正義を捨てることではありません。その正義が誰のためにあり、誰を傷つけ、どの前提に依存しているのかを確認することです。正しさを疑うのではなく、正しさの構造を見るということです。
確認したいこと
ある主張が正義として語られているときは、「何を守るための正義なのか」「何を非正義としているのか」「その正義によって誰が負担を負うのか」「別の立場から見たときに何が見えなくなるのか」を確認した方がよいです。
まとめ
人の正義は、非正義の上に成立しています。何かを正しいと言うとき、そこには必ず、避けるべきもの、許されないもの、守るべき対象があります。正義は、否定対象を持つことで輪郭を得ます。だからこそ、正義を語るときには、自分の側の正しさだけを見てはいけません。その正義が何を前提にし、誰に負担を与え、誰を排除し、何を見えなくしているのかを見る必要があります。正義を疑うことは、正義を放棄することではありません。むしろ、正義を雑に扱わないために、正しさの足元を見ることなのだと思います。

