財務省解体デモが広がっているという話を見た時、単に「財務省が悪い」という話として片付けるのは危ういと思いました。
もちろん、財務省の政策説明や、増税志向に見える姿勢に不満が集まるのは理解できます。長期停滞、賃金の伸び悩み、社会保険料の重さ、可処分所得の減少を考えれば、怒りが財務省に向かいやすいのは自然です。
ただし、財務省そのものを一枚岩の悪として扱うのは違います。財務省の中にも、公共のために真面目に働いている人や、志を持っている人はいるはずです。問題は、財務省という組織が悪役に見える構造があり、それをプロパガンダ的に煽る人たちがいて、さらにそれを政治的に利用する人たちがいることです。
財務省批判が広がる背景
財務省批判が広がる背景には、生活実感の悪化があります。物価は上がり、社会保険料も重く、賃金が十分に伸びない。働いているのに手取りが増えない。こうした感覚が積み重なると、税や財政を管理する財務省に怒りが向かいやすくなります。
消費税、社会保険料、年収の壁、可処分所得の問題は、日々の生活に直結します。財政規律の説明がどれだけ制度的に正しくても、生活が苦しい人にとっては「また負担を増やすのか」と見えます。このズレが大きくなるほど、財務省は国民生活を圧迫する象徴として見られやすくなります。
「財務省が悪」という単純化は政治責任を消す
一方で、「財務省がすべて悪い」という説明は、かなり単純化されています。官僚組織には強い影響力があります。しかし、最終的に予算、税制、法律、政策を決めるのは政治です。
財務省が案を作り、説明し、根回しをするとしても、それを採用し、国会で通し、政権として実行してきた政治責任は消えません。
財務省を悪役にすれば、怒りの対象は分かりやすくなります。しかし、それによって自民党政権が長年担ってきた政治責任がぼやけるなら、本質からずれます。増税も、社会保険料の負担増も、財政運営も、最終的には政治が国民に説明し、責任を負うべきものです。
財務省が悪役に見える構造は確かにある
財務省が批判されやすいのは、単に国民が誤解しているからではありません。
財政規律、増税、予算査定、各省庁への統制、税収見通し、国債、社会保障費といった論点が財務省に集まりすぎています。そのため、生活が苦しくなった時に、財務省がすべてを握っているように見えやすい。
さらに、政治家が自分たちの判断を財務省のせいにする構造もあります。「財務省が言っている」「財源がない」「財政規律が必要」という言葉を使えば、政治が自分で決めた責任を薄めることができます。
ここに、財務省が悪役化される構造的な原因があります。財務省が批判されるのは偶然ではありません。しかし、その構造を見ないまま財務省だけを叩くと、政治の責任が抜け落ちます。
怒りを利用する人たちの問題
財務省批判には、生活実感に根ざした正当な怒りもあります。しかし、その怒りを単純な敵味方の構図に変える人たちもいます。
「財務省を倒せばすべて良くなる」「財務省が国民を苦しめている」という言葉は分かりやすい。だからこそ広がりやすい。しかし、分かりやすすぎる説明には注意が必要です。
社会の不満が大きい時、強い言葉は拡散しやすくなります。そこに政治家、インフルエンサー、運動家、メディア、SNS が乗ると、複雑な問題が単純な物語に変わります。問題は財務省批判そのものではなく、批判が検証ではなく煽動になってしまうことです。
本質は自民党政治の責任にある
私の感覚では、ことの本質は財務省だけではなく、自民党政治そのものにあります。
長期政権の中で、財政、税制、社会保障、経済政策、労働政策をどう設計してきたのか。その結果、なぜ賃金が伸びず、可処分所得が弱く、将来不安が強くなったのか。ここを見なければ、財務省を批判しても問題は解けません。
官僚組織は強いですが、官僚だけで国の方向を決めているわけではありません。政治が責任を引き受けず、都合の悪い判断を官僚組織のせいにするなら、それは政治の劣化です。
財務省を批判するなら、同時に、それを使い、従い、責任を逃がしてきた政治を見なければなりません。
メディア批判も雑に処理しない方がよい
デモがどの程度報じられたのかについても、「メディアが完全に隠している」と断定するのは慎重であるべきです。
報道量が少ない、扱いが小さい、関心が薄いという問題はあるかもしれません。しかし、それをすぐに組織的な隠蔽や癒着と断定すると、話が陰謀論に寄ってしまいます。
メディア批判は必要です。ただし、批判するなら、報道機関が何を重視し、何を軽視したのか、なぜ政治的な不満の広がりを十分に拾えなかったのかを見た方がよいと思います。単に「隠している」と言うだけでは、問題の構造が見えにくくなります。
必要なのは敵探しではなく、責任の所在を分けること
財務省解体デモが示しているのは、国民の生活不満がかなり深くなっているということだと思います。その怒りを軽視するべきではありません。
しかし、怒りを一つの組織に集中させるだけでは、問題は解決しません。
財務省には財務省として批判されるべき点がある。政治には政治として負うべき責任がある。メディアにはメディアとして拾うべき論点がある。SNS には情報を単純化し、煽る危うさがある。これらを分けて考えないと、誰かを悪役にして終わるだけになります。
私は、財務省を素晴らしい組織だと言いたいわけではありません。ただ、財務省だけを悪にして、自民党政治の責任や、それを利用する人たちの問題を見えなくするのは違うと思います。
必要なのは、敵を作ることではなく、構造と責任の所在を正確に見ることです。


