私は、自民党が長くのさばり続けていることについて、政治家や政党だけでなく、国民側の責任もかなり大きいと思っています。もちろん、最も直接的な責任は権力を持つ側にあります。しかし、その権力を選挙で維持させてきたのは、有権者でもあります。
この話は、単に「国民が悪い」と言いたいわけではありません。問題は、なぜ不祥事が続いても、なぜ生活が苦しくなっても、なぜ将来への不安が増えても、同じ政治構造が維持されるのかということです。
書籍
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投票率の低さだけではない
代表的な問題は、もちろん投票率の低さです。投票しない人が多ければ、固定票や組織票を持つ政党が強くなります。政治への不満があっても、それが投票行動に変わらなければ、現実の政治は変わりません。
ただし、問題は投票率だけではありません。投票している人の中にも、政策を読まず、候補者の人柄、地元との関係、昔からの支持、雰囲気、知名度で選んでいる人は多いと思います。
政治家を選ぶという行為は、本来、自分たちが何に困り、どの政策がそれを解決しようとしているのかを見て判断するものです。しかし、そこまで読んで考えることを避ける人が多い。ここに大きな問題があります。
人柄政治の限界
日本では、実際に会ってくれた、地元に来てくれた、話を聞いてくれた、感じが良かった、という理由で政治家が支持されることがあります。もちろん、人柄が全く無関係とは言いません。政治家も人間ですし、信頼できるかどうかは重要です。
しかし、人柄だけで政治を選ぶと、政策の中身や権力の使い方が後回しになります。会ってくれる政治家が良い政治家とは限りません。地元に利益を持ってくる政治家が、国全体にとって良い政治家とも限りません。
この人柄政治は、全国に組織を持ち、地元利益を配分し、長く支持基盤を維持してきた自民党にとって非常に有利です。政策ではなく関係性で政治が選ばれるほど、既存政党は強くなります。
現状維持を好む社会
日本社会には、変化を嫌い、現状を安定させ、同じ仕組みを続けることを好む傾向があると思います。これはある面では秩序や安定につながりますが、政治が腐敗している時には悪い方向に働きます。
変化を避ける社会では、不祥事があっても「他に任せるのは不安」「野党は頼りない」「結局いつもの方がまし」という判断になりやすいです。その結果、責任を取るべき政党が責任を取らずに済んでしまいます。
民主主義では、政権交代の可能性そのものが権力への牽制になります。政権を失う緊張感がなければ、政治は身内の論理で動きやすくなります。
裏金問題と説明責任
自民党の裏金問題は、弁明を聞けば聞くほど腹が立つものでした。政治資金をめぐる問題は、単なる会計処理のミスではありません。政治家が誰のために政治をしているのか、説明責任を果たす気があるのか、という根本の問題です。
にもかかわらず、有権者が十分に怒らず、十分に調べず、十分に投票で意思表示しなければ、政治家は本気で変わりません。政治家が有権者を見下しているとしたら、それは有権者が見下されても仕方がない行動を続けてきた面もあると思います。
失われた 30 年とのつながり
以前、日本の失われた 30 年 について、未来の芽を摘み続けた政治と産業構造の問題として整理しました。この問題も、自民党だけでなく、それを許してきた有権者側の問題とつながっています。
長期的な国の未来より、目先の利益や現状維持を優先する政治が続いた。そして、その政治を変えるだけの投票行動や社会的圧力が十分に生まれなかった。だから、失われた 30 年は政治家だけの失敗ではなく、有権者の失敗でもあると思います。
有権者に必要なこと
- 候補者の人柄だけでなく、政策と実績を見ること
- 政党の不祥事に対して、投票で責任を問うこと
- 昔から支持しているという理由だけで投票しないこと
- 地元利益だけでなく、国全体の制度設計を見ること
- 政治を「誰かがやるもの」ではなく、自分の生活に直結するものとして扱うこと
政治を理解するには読む力が必要です。政策を読み、予算を見て、発言を追い、不祥事の経緯を確認する必要があります。面倒ですが、民主主義はその面倒さを引き受ける制度です。
まとめ
自民党がのさばり続けている責任は、当然ながら自民党自身にあります。しかし、それを選挙で許し、現状維持で済ませ、政策より人柄や地元利益を優先してきた国民側にも責任があります。
政治家が変わらないのは、有権者が変えなくても済む環境を与えているからです。不祥事が起きても、説明責任を果たさなくても、結局選挙で大きく罰せられないなら、政治は変わりません。
だからこそ、必要なのは怒ることだけではなく、読むこと、考えること、投票すること、そして責任を問うことです。民主主義は、政治家だけでなく、有権者の側にも責任を要求する制度なのだと思います。

