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竹中平蔵氏の所得制限付きベーシックインカムは何が危ういのか – 社会保障削減と自己責任論を分けて考える

竹中平蔵氏が 2020 年に語った「所得制限付きベーシックインカム」は、単に月 7 万円を配るかどうかの話ではありません。現金給付を社会保障の土台に置くこと自体は、検討に値します。問題は、それを既存の年金、生活保護、医療、介護、障害者支援、住宅支援などとどう接続するのかです。

私は、竹中平蔵氏を信用していません。理由は、個人的な好悪だけではありません。構造改革、規制緩和、非正規雇用の拡大、自己責任論と結びついた政策の語り方を見てきたとき、社会保障を簡素化するという言葉が、弱い立場の人の保障を削る方向へ使われる危険を強く感じるからです。

ただし、批判するなら正確に批判する必要があります。竹中氏は、後日のインタビューで「1 人 7 万円で生活できる」と言ったわけではないと説明しています。また、生活保護も補うものとしてあってよい、年金の積み立て分は保障しながら切り替える、とも述べています。そうした補足を踏まえてもなお、私はこの案には大きな危うさがあると考えます。

所得制限付きならベーシックインカムなのか

まず整理すべきなのは、所得制限付きの給付をベーシックインカムと呼べるのかという点です。Basic Income Earth Network は、ベーシックインカムを、定期的な現金給付であり、個人単位で、すべての人に、資力調査や就労要件なしに支給されるものとして定義しています。つまり、普遍性と無条件性が重要です。

一方で、高所得者へもいったん支給し、税制で後から回収する設計は、ベーシックインカムの議論の中でもあり得ます。全員に配ることと、税を通じて再分配することは矛盾しません。むしろ、高所得者だけを事前に除外しようとすると、所得確認、世帯判定、申請、審査、境界線上の不公平が生まれます。

竹中氏の案が分かりにくいのは、「所得制限付き」と言いながら、実際には負の所得税や税と社会保障の一体改革に近い説明もしている点です。これは制度設計として重要な違いです。事前に所得制限をかけるのか、全員に支給して税で回収するのか、低所得者へ追加給付するのか。ここを曖昧にしたまま「ベーシックインカム」と呼ぶと、議論が現金給付の印象だけに流れます。

月 7 万円は最低生活の基準ではない

月 7 万円という数字も慎重に扱う必要があります。竹中氏は後日のインタビューで、7 万円は平均的な水準であり、単身者や家族構成によって調整し得ると説明しています。この点は、単純に「7 万円で暮らせと言った」とだけ批判すると不正確になります。

しかし、平均額の説明があったとしても、制度設計上の不安は残ります。社会保障を置き換える議論の中で月 7 万円という数字が出ると、それが政治的な基準として一人歩きするからです。現在の生活保護は、生活扶助だけでなく、住宅扶助、医療扶助、介護扶助、教育扶助などを含む制度です。年金も、老齢、障害、遺族という異なるリスクを扱っています。

現金給付を増やすことと、個別の生活リスクを保障することは同じではありません。健康で、家賃が低く、家族支援があり、判断力や生活管理能力が保たれている人なら、低い現金給付でも一時的にしのげるかもしれません。しかし、病気、障害、介護、単身高齢、失業、DV、住居喪失、子育て、外国籍、孤立のような条件が重なる人に、同じ金額だけ渡して「あとは自助」とするなら、それは最低生活の保障ではありません。

社会保障を置き換える議論が危うい

ベーシックインカムの魅力は、申請主義や選別のしんどさを減らし、誰もが最低限の所得を持てることにあります。生活保護のように、困窮してから申請し、資産や扶養を確認され、スティグマを背負う制度より、普遍的な現金給付の方が人間の尊厳を守れる場面はあります。

しかし、その魅力を使って既存の社会保障を削るなら、話は逆になります。年金や生活保護を乱暴に置き換えれば、支援が必要な人ほど失うものが大きくなります。特に、医療、介護、障害、住宅のように、現金だけでは吸収しにくいリスクを、月額給付にまとめてしまうのは危険です。

本来の論点は、社会保障をなくすことではありません。普遍的な現金給付を土台にしつつ、個別リスクへの上乗せ保障をどう残すかです。基礎部分を簡素化することと、必要な支援を削ることは違います。この境界を曖昧にしたまま「究極のセーフティネット」と言うなら、私はまったく信用できません。

論点検討すべきこと
基礎給付全員に支給するのか、税で回収するのか、給付額をどう決めるのか
年金老齢、障害、遺族のリスクを基礎給付とどう分けるのか
生活保護住宅、医療、介護、教育などの扶助を現金給付で置き換えられるのか
所得把握マイナンバー、口座、税情報をどう扱い、誤判定をどう救済するのか
行政コスト制度を簡素化するはずが、境界判定と例外処理で複雑化しないか

所得把握と行政の信頼が前提になる

所得制限付き、あるいは税で後から回収する仕組みを作るなら、所得把握の精度が重要になります。竹中氏の案でも、マイナンバーと銀行口座のひも付け、所得把握が論点として語られました。ここには、単なる技術論では済まない問題があります。

まず、所得は給与だけではありません。事業所得、不動産所得、金融所得、扶養、世帯内の資金移動、海外資産、現金商売、フリーランスの収入変動などがあります。年単位でしか把握できない所得と、月単位で困窮する生活のズレもあります。所得が下がった直後に支援が必要なのに、前年所得で対象外になるような制度では、セーフティネットとして弱いです。

次に、行政への信頼です。マイナンバー、口座、給付、税、社会保障を接続するなら、誤登録、誤判定、過払い、返還請求、差押え、情報漏えい、説明不足への対応が必要になります。制度を簡素にするはずが、例外処理と救済手続きが弱ければ、結局は弱い立場の人ほど不利益を受けます。

自助を語る前に、保障の下限を決めるべきである

竹中氏の説明には、若い人には挑戦してもらいたい、究極のセーフティネットが必要だという語りもあります。挑戦できる社会を作るという方向自体は否定しません。失敗しても飢えない、転職や起業をしても生活が壊れない、介護や育児で一時的に労働時間を減らしても底が抜けない。そのような基礎保障は必要です。

ただし、挑戦を支える給付と、弱い立場の人を自己責任へ押し出す給付は違います。前者は、働き方や生活の選択肢を増やします。後者は、社会保障を削って、足りない分は自分で何とかしろという話になります。

自助を語るなら、その前に公助の下限を明確にすべきです。住まいを失わないこと、医療にかかれること、障害や介護の負担を個人や家族だけに押し付けないこと、子どもの生活と教育を守ること。そこを固定しないまま現金給付だけを先に置くと、制度は自由ではなく放置になります。

竹中平蔵氏への不信は政策論として扱うべきである

竹中平蔵氏への反発は、単なる好き嫌いではありません。もちろん、私はかなり嫌いです。しかし、それだけで終わらせると、批判として弱くなります。見るべきなのは、どのような政策観が繰り返し出てくるかです。

市場を自由にすれば効率化する、既得権益を壊せば社会が良くなる、規制を緩めれば成長する、個人がもっと挑戦すればよい。これらは一部では正しい場面もあります。しかし、現実には、規制や社会保障は弱い立場の人を守るためにも存在しています。壊すべき既得権益と、守るべき生活保障を同じ箱に入れてはいけません。

竹中氏のベーシックインカム案への不信は、そこにあります。社会保障の複雑さを批判すること自体は必要です。しかし、その複雑さの中には、病気、障害、高齢、失業、住居、家族関係、地域差といった現実の生活リスクが含まれています。それを雑に単純化すると、困る人から順に制度の外へ落ちます。

まとめ

竹中平蔵氏の所得制限付きベーシックインカム案は、現金給付の議論としてだけ見れば、検討すべき点もあります。申請主義の負担を減らし、すべての人に基礎的な所得を持たせるという考え方には意味があります。

しかし、問題はそれを社会保障の削減や自己責任論と結びつけることです。月 7 万円という数字が平均額だとしても、年金や生活保護を置き換える議論の中で使われれば、保障水準の引き下げに見えるのは当然です。生活保護や年金には、単なる現金給付では吸収できない個別リスクがあります。

ベーシックインカムを議論するなら、まず守るべき下限を決めるべきです。住宅、医療、介護、障害、子育て、老齢、失業への保障をどう残すのか。所得把握と誤判定の救済をどう設計するのか。税で回収するのか、事前に制限するのか。そこを曖昧にしたまま、既得権益打破や制度簡素化の言葉だけが前に出るなら、私は支持できません。

結局のところ、この案で問われるのは、給付額そのものよりも社会観です。社会保障を、人が失敗しても生き直せる土台として見るのか。それとも、最低限の現金だけ渡して、あとは市場と自己責任に委ねるのか。竹中氏の案に強い違和感を覚えるのは、後者へ滑っていく危険が見えるからです。

参考資料

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