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コロナ禍で改めて分かったこと – 危機時の判断と責任の所在

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コロナ禍で改めて分かったことは、危機時には早い段階で不完全な情報のまま判断しなければならない、ということです。平時であれば、十分なデータや合意形成を待つべきです。しかし、危機時には待っている間にも被害が広がります。

これは、判断が雑でよいという意味ではありません。むしろ逆です。不完全な情報の中で判断するからこそ、何を前提にし、何を捨て、どのリスクを取ったのかを後から検証できる形にしておく必要があります。

グレーな判断から逃げられない

危機時の判断は、白黒がはっきりしない状態で行われます。感染状況、医療体制、経済影響、教育、家庭、メンタルヘルス、地域差。すべてを完全に把握してから動くことはできません。

だからこそ、政治や行政には、グレーな判断を引き受ける責任があります。曖昧な状況で決めた以上、その判断が間違っていた可能性も含めて説明し、修正し、検証する必要があります。

後出し批判だけでは問題は解けない

一方で、後から結果だけを見て批判することにも限界があります。判断時点で何が分かっていて、何が分かっていなかったのかを見なければ、ただの後出しになります。

もちろん、後からの検証は必要です。むしろ必要です。ただし、それは誰かを叩くためではなく、次の危機で同じ失敗を減らすために行うべきです。

弱い立場に負担を押し付けない

危機時に一番見えやすくなるのは、社会の弱い部分です。雇用が不安定な人、店を開けなければ収入がない人、家庭内に逃げ場がない人、医療や介護に近い人。強い立場の人が安全な場所から我慢を求めるだけでは、社会は持ちません。

強い立場にいる人ほど、危機時には報酬以上の仕事をする必要があります。判断する権限を持つなら、負担の配分と補償の設計まで引き受けるべきです。

まとめ

コロナ禍で見えたのは、危機時の判断の難しさと、責任の所在の曖昧さでした。不完全な情報で判断することは避けられません。だからこそ、判断の根拠、修正の過程、負担の分配を社会に見える形で残す必要があります。

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