電力需給が厳しくなるたびに、節電が呼びかけられます。もちろん、緊急時に節電すること自体は必要です。ただ、この時代に最重要インフラである電力について、最後は国民の善意に訴えるしかないように見えることには強い違和感があります。
電力不足は、個人の努力だけで解決する問題ではありません。発電、送電、需要予測、燃料調達、設備投資、規制、災害対策、産業政策が絡む、国家と市場とインフラの問題です。
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節電要請は応急処置であって設計ではない
節電要請は、需給が厳しい時間帯を乗り切るための応急処置です。しかし、それが繰り返されるなら、社会としての設計を見直す必要があります。
電力が不安定な国に、企業が長期投資しやすいのか。デジタル化、製造業、医療、物流、データセンターを支える基盤として十分なのか。そういう視点で考えると、節電だけを前面に出す姿勢はかなり弱く見えます。
しかも、節電要請は真面目な人ほど受け止めます。余裕のある人より、生活に不安がある人、電気代を気にしている人、公共の呼びかけに従おうとする人が我慢しやすい。インフラ側の余力不足を、そういう人たちの我慢で埋める構図はかなり歪んでいます。
国民の善意に依存しすぎる問題
日本では、制度や政策の不足を、現場の努力や個人の我慢で吸収する場面が多いと感じます。電力のような基盤でそれをやってしまうと、問題の本質が見えにくくなります。
善意や協力は大切です。しかし、善意は制度の代わりにはなりません。節電を呼びかけるなら、同時に、なぜ供給余力が足りないのか、どの設備が止まっているのか、需要調整をどう設計するのか、次に同じことを起こさないために何を変えるのかまで説明されるべきです。
| 対応 | 役割 |
|---|---|
| 個人の節電 | 短期的なピーク抑制 |
| 企業の需要調整 | 操業時間や設備利用の調整 |
| 電力会社の供給力確保 | 安定供給の実務 |
| 政府の政策判断 | 長期的な電源、送電、投資環境の整備 |
責任の所在を分けて考える
電力不足を考える時に、個人、企業、電力会社、政府の責任を混ぜると話がぼやけます。個人はできる範囲で節電する。企業は操業や設備利用を調整する。電力会社は供給力と運用を担う。政府は制度、投資環境、長期的な電源構成、送電網の整備に責任を持つ。役割は同じではありません。
それなのに、表に出てくる言葉が「節電してください」ばかりになると、生活者にだけ責任が届きます。本来検証されるべき政策判断や制度設計が後ろへ下がる。ここに、強い違和感があります。
まとめ
節電は必要です。しかし、節電しか方法がないように見える社会は、インフラ設計として弱いです。電力不足を国民の善意に寄せすぎるのではなく、供給力、需要調整、投資、制度設計を含めて考えるべきだと思います。
電力は、生活者の我慢で何とかする周辺的な問題ではありません。医療、産業、物流、通信、冷房、教育、家庭生活の土台です。だからこそ、節電要請のたびに「みんなで頑張ろう」で終わらせず、なぜそうなったのか、次にどう設計するのかまで問う必要があります。
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