まず最初に述べますが、「女性蔑視」とはもはや女性に限定された問題ではなく、「ある状況下で、少数派が多数派によって不当なカテゴリーに分類され、その結果、全体として不公平な扱いを受ける」ということだと考えます。
これは日本の政治家に限らず、日本国民全体が理解していない可能性があります。そして、女性蔑視は本当に良くありません。
森会長の「女性がたくさん参加している取締役会の会議は時間がかかる」という発言は、個人的にはそこまで問題視するほどのものではないと思います。おそらく森会長の個人的な経験として「女性は男性よりも話が長い傾向がある」ということを言っているだけだと思いますし、実際、女性は男性よりも話が長い傾向がある」ということは、一般的にも男女ともにそう思っている人も多いのではないかと思います。経験からくるものを発言できなかったら男女ともに何も話せなくなるとも思います。
先ほど、テレビで「このごま油の瓶は女性が持ちやすいデザインになっている」という話題がありました。森会長の発言を背景に考えると、「女性は男性よりも筋力が弱いので、このようなデザインにした」と解釈できます。テレビ番組を見ている限り、誰もこれを「女性蔑視ではないか?」という意見を出していませんでした。
つまり、「女性は男性よりも話が長い」については、全ての女性に当てはまるわけではないが、比較的ネガティブな見方をされ、「女性は男性よりも筋力が弱いので、このようなデザインにした」というのは、女性の利便性を考慮しているという比較的ポジティブな見方をしたと言えるのではないでしょうか。
女性蔑視とは、ある行動が「女性だから」という理由に基づいて行われることですが、上記の内容を考えると、ネガティブな見方は好ましくないと考える反面、ポジティブな見方は歓迎されるとも言えます。
女性であっても、「私は男性よりも力があるのに、一緒にされるのは困る!」と思う人もいるでしょう。逆に男性であっても、「男性だから力が強いと仮定されることに違和感を覚える」という人もいるかもしれません。これも男性蔑視と言えるでしょう。
テレビなどで話す人々は社会的地位の高い人たちであり、その地位は広く多数が同意する方向に向かうことで守られているため、彼らの本音を見ることは難しいです。日本社会の課題は、「多様性を受け入れることができない」という点が根本にあると思いますが、これは決して「女性蔑視」に限った問題ではないとも考えられます。
最後に、女性蔑視を含め、差別的な事柄は感情的になりやすいものです。一方で全員がよりよくコミュニケーションするために解決しなければならないことですので、妙に煽ったり、一時的な感情に捉われず、より広い文脈で一度冷静に考えてみるのが良いのはないでしょうか。