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飽きっぽいのは本能

自公連立崩壊が示した自民党の末期症状

連立解消の必然性

2025 年 10 月 10 日、四半世紀続いた自公連立がついに終わりを迎えた。

報道では突然の決裂のように映ったが、実際には長年にわたり蓄積された「軽視」の結果だった。

核心は、自民党が公明党を一貫して軽んじてきたことにある。


高市政権の誤算

高市政権発足直後、自民党は関係修復よりも国民民主党との接触を優先。

この行動が公明党側の堪忍袋の緒を切らせた。

特に創価学会の幹部らは、高市氏の強い保守色に警戒しており、「軽視」ではなく「侮辱」と受け取ったとみられる。


公明党の役割と自民党の慢心

公明党は長年、自民党の現実政治を支えてきた。

理念の違いを超えて、選挙・政策運営の現場で調整と信頼を築いてきた。

それにもかかわらず、自民党は公明党を「票を運ぶ下請け」として扱ってきた。

麻生太郎氏の「公明党はガンだ」という発言は、その象徴的な侮蔑の表れであり、政権パートナーへの敬意を完全に失っていた。


高市政権の構造的欠陥

高市政権は“強気”を演出したが、実態は慢心と無反省の政治。

連立の継続を当然視し、国民の声より派閥の論理を優先。

政治改革の議論にも真摯に向き合わず、総裁本人が「担当でなかったから知らない」と答える姿は、官僚的リーダーの象徴に見えた。


接着剤の喪失

かつて自民党と公明党をつないでいた菅義偉氏は、この局面で無力だった。

高市氏が副総裁に麻生氏を据え、菅氏を排除した瞬間、連立をつなぎとめる「人間的な接着剤」は失われた。

政治は理念ではなく関係の維持で成り立つ──その原理を軽視した結果が崩壊を招いた。


筆者の立場と評価

筆者は公明党支持者ではないが、今回の離脱は正当だと評価する。

敬意を欠いた政治は必ず自滅する。

信頼構築を怠り、異論を切り捨てる権力は、いずれ孤立し、崩壊に向かう運命にある。


自民党の堕落と麻痺

自民党は安倍政権以降、「勝ち続けたことによる麻痺」に陥った。

長期政権の副作用で政治的感受性を失い、反省の力をなくした。

政策よりポスト、理念より選挙。

政治の貧困化は野党の弱さではなく、与党の傲慢が原因だ。


崩壊の必然と再生の機会

今回の連立崩壊は偶然ではなく必然である。

公明党の離脱により、政権の「安定装置」は外れた。

しかしそれは、日本政治に“緊張感”を取り戻す契機でもある。

自民党がこの現実を直視しなければ、次に滅びるのは政権そのものだ。


権力の自滅

権力者は自らの傲慢さで自信を滅ぼす。

今、その言葉が最も似合うのは、他ならぬ自民党である。

自公連立崩壊が示した自民党の末期症状

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