最近、企業での生成 AI 利用が急速に広がっています。
一方で、「情報漏洩のリスクが高い」「AI は危険だから禁止すべき」といった声も少なくありません。
しかし、AI は“新しい危険”ではありません。
従来のクラウドサービスと同じ原則のもとで設計・運用すべき技術の一形態にすぎません。
AI を特別扱いしないことの重要性
AI の利用をめぐる多くの議論は、「AI だから特別だ」という前提に基づいています。
けれども、情報を外部に送信して処理する構造は、クラウドストレージや SaaS、チャットツールなどと本質的に変わりません。
つまり、「AI に入力したから漏れる」のではなく、「外部サービスに送信している情報の扱いを理解していない」ことがリスクなのです。
情報セキュリティの三要素――機密性・完全性・可用性――に照らせば、生成 AI も既存システムの延長線上で管理できます。
アクセス制御、データ保持方針、通信経路の可視化。
これらを適切に行えば、AI 利用は特別危険な行為ではありません。
もちろん、AI としての特性はある
とはいえ、AI には他のサービスとは異なる側面もあります。
それは、入力情報が学習やモデル改善に再利用される可能性を持つ点です。
従来の SaaS が「保存する」だけだったのに対し、生成AIは「学習する」構造を備えています。この点を理解していないと、利用者が想定しない形で情報が再利用されるおそれがあります。
しかし、この問題も新しいものではありません。
リスクを懸念するなら、クラウド時代と同じように利用形態を分離すればいいのです。
たとえば、社内向けにはプライベート AI 環境を構築し、外部向けにはパブリックな API やサービスを限定的に使う。これは、パブリッククラウドの課題に対してプライベートクラウドが生まれたのとまったく同じ流れです。
AI を拒むのではなく、リスクの大きさに応じた境界設計をする。
これが本質的な解決策であり、AI を安全に社会実装していく唯一の道です。
「理解なき恐怖」が最大のリスク
私が本当に危惧しているのは、技術そのものではありません。
システムを専門的に理解することが、一般の人にとって認知コストが高すぎるという現実です。
結果として、「AI」「情報漏洩」「セキュリティ」といった表層的なキーワードだけが独り歩きし、
実態よりも“印象”が政策や判断を左右する。
技術は理解されなければ恐怖の対象となり、恐怖の対象となった技術は正しく運用される機会を失います。
それは AI に限らず、過去のインターネット、クラウド、IoT でも繰り返された構図です。
だからこそ、私たちが本当に向き合うべきは「AI の危険性」ではなく、理解する努力を省略した社会の危うさだと思います。
AI 時代の成熟とは
AIを“特別扱いしない冷静さ”と、“特性を理解する慎重さ”。
この二つを両立できることが、技術社会の成熟だと私は考えています。

