物語の再演
「強い日本を取り戻す」。この言葉が再び政治に戻ってきました。
高市政権の経済政策は、アベノミクスの延長線上にあります。それは、金融緩和と財政出動を軸に、円安で輸出企業を支え、表面上の株価と景況感を保つ構造です。
しかし、10 年前と違って世界も日本も状況がまったく異なります。国際金利差は拡大し、エネルギーと食料の多くを輸入に頼る日本では、円安は景気刺激ではなく生活破壊になっています。
それでも政治は、旧来の薬を打ち続けている状態です。経済を動かすためではなく、動いているように見せるために。
支持と期待のすれ違い
高市の支持層の内訳は複雑だが、Yahoo! ニュースなどのアンケートを見る限り、経済への期待が最も大きいと思われます。
「景気を良くしてくれる」「日本を再び強くする」。そう信じる人が多いと思いますが、問題は、その強さが誰のためか?ではないでしょうか。
高市の政策は、輸出型大企業を中心に利益を集中させる構造を前提にしています。家計や中小企業、地方経済に直接的な恩恵が及ぶ設計にはなっていません。言い換えれば、期待している層ほど、その効果を感じにくい政策とも言えます。
今後、物価高や生活コスト上昇の現実が続けば、支持層の間でも成長の実感がないという失望が広がっていく可能性が高いと思います。そのとき初めて、彼女の「経済的強さ」の意味が問われることになるでしょう。
金利という麻酔
この構造を支えているのが、日銀の超低金利政策です。
政府は金利を上げられない。上げれば国債費が膨らみ、企業も家計も倒れる。だから「上げない」ことが正義として語られます。
だが、それは本当に庶民に優しい政策なのでしょうか?
低金利は確かに借りやすさを生みますが、同時に預金の価値を奪います。円の購買力は下がり、輸入コストは上がり、生活は目に見えない形で圧迫されます。
いまの日本では、物価が上がり、金利が上がらないという、最も危険な状態が固定化しています。
経済学的に言えば、これは「実質金利マイナス」の長期定着です。
お金を持っている人が損をし、借金をしている構造が得をする。つまり、勤勉に貯蓄してきた層ほど損をし、金融資産を活用できる層だけが得をする。これが、格差の最も静かな再生産の仕組みです。
分配なき成長
アベノミクスは「トリクルダウン(富の滴り落ち)」を前提にしてきました。
企業が潤えば、賃金や雇用を通じて国民に利益が回る。だが実際には、企業の内部留保が過去最高を更新する一方で、実質賃金は下がり続けています。
金融緩和によって供給されたマネーは、実体経済には流れず、金融市場や企業内部で滞留しました。マネーは回らず、富は動かず、消費は冷え込む。「成長の果実」は誰の手にも届かないまま、数字だけが積み上がっています。
この構造は、高市政権でも変わっていません。「成長戦略」の名の下に再分配は後回しにされ、家計の負担だけが増しています。結果、景気対策が景気を冷やすという逆転現象が生まれています。
通貨と生活の乖離
いまの日本では、通貨の信頼が静かに損なわれています。
円安による輸入コスト増、実質賃金の低下、老後資金への不安。それらはすべて通貨の問題です。にもかかわらず、政治は「金利を上げるな」「円安は輸出に有利だ」と同じフレーズを繰り返しています。
麻酔を解くために
金利を上げることは「痛み」ではありません。
むしろ、失われた感覚を取り戻すための回復の痛みだと思います。市場原理を戻し、通貨の信頼を取り戻さなければ、いずれ円安による貧困が定着することになるでしょう。
本当に必要なのは、成長率ではなく分配と知的投資。教育、研究、再エネ、IT。人の能力と社会基盤への投資が、やがて持続的な成長を生むことになると思います。
そのための政策転換を妨げているのが、高市政権の「強い日本」という懐古の物語だと思います。


