はじめに
上野の国立科学博物館で開催中の特別展「大絶滅展 生命史のビッグファイブ」を見てきました。
地球 46 億年の歴史の中で、生命が繁栄と絶滅を繰り返してきた“壮大な時間のドラマ”を追体験できる展示です。
恐竜の骨格や古代魚の化石を見上げながら、単なる博物学というより「生きるとは何か」を問われているような感覚になりました。
大絶滅とは
「大絶滅」とは、地球上の生物種の大部分が短期間に姿を消す現象のこと。
これまでに知られている主な“大絶滅”は五つ――そしてその後の新生代の多様化を加えると、六つの境界として整理できます。
それぞれの絶滅は“終わり”ではなく、次の生命圏の“初期条件”をつくった瞬間でもあります。
生命史の境界線
O–S 境界(オルドビス紀末:約4億4400万年前)
海洋の酸素濃度変化により、海の生物の 85% が絶滅。氷期と海退が繰り返され、個々の生物はただもがいたが、その混乱こそが“新しい海洋生態系”の出発点となった。
F–F 境界(デボン紀末:約3億8000万〜3億6000万年前)
陸上植物の繁栄が大気中のCO₂を減らし、地球を寒冷化させた。“自らの進化が環境を変え、環境がまた自らを淘汰する”という、わがままの連鎖反応。
P–T 境界(ペルム紀末:約2億5200万年前)
シベリアの大噴火が地球を酸欠と高温に変え、生命の 96% が消滅。環境が完全にリセットされ、生き残ったわずかな系統が“次の世界”を設計していく。
T–J 境界(三畳紀末:約2億100万年前)
超大陸パンゲアの分裂による火山活動と気候変化で、古い爬虫類群が滅ぶ。代わりに“恐竜のローカルルール”が地球標準となり、ジュラ紀の支配者が誕生した。
K–Pg 境界(白亜紀末:約6600万年前)
小惑星の衝突が大気を覆い、恐竜を含む多くの大型生物が絶滅。宇宙規模の偶然が、“哺乳類という統計的ノイズ”を主役に押し上げた。
新生代(約6600万年前〜現在)
大量絶滅は起きないが、氷期や乾燥化などの気候変化が連続的に続く。この細かな揺らぎこそが、現在の生物多様性を形づくった。そして、ステラーダイカイギュウのように“知性による絶滅”が登場する――新たな意味での「第六の境界」かもしれない。
個人的所感
展示を見て感じたのは、生物の個体は自然と調和しようなどと思っていないということ。
どの時代の生き物も、生きるためにわがままで、環境を変え、他を押しのけ、結果として自らの環境をも壊していった。
それでも地球の生命は、膨大な時間の中でその“わがまま”を平均化し、次の形へと進化してきました。
言い換えれば、進化とは「偶然の総和」であり、「わがままの統計」です。
私たち人間もまた、例外ではありません。ステラーダイカイギュウの絶滅が示すように、今度の“大絶滅”を引き起こすのは私たち自身かもしれません。
けれど、生命は何度も壊れ、何度も立ち上がってきた。
その事実を前にすると、人間という存在もまた、時間の中のひとつの試行錯誤に過ぎないと感じます。
それでも、生きて観察し、記録し、思考できる今を生きること――それが“生命の平均値”の一部であることに、不思議な安心感を覚えました。

